STORIES "KAMPO with Me"

わたしと漢方

大宮エリー 作家

連載「大宮エリーの 私、ツムラーになる!!」第1話

撮影:諸井純二 2018.03.16

第1話 なぜ、ツムラーに?

もともと私、植物が好きだったのです。
東大に入ったのも、植物園の園長さんになりたかったからなんです。
植物の勉強をして砂漠でも育つ植物を作り地球を砂漠化から救いたかった。
けれども父が病に倒れてしまい、何も出来なかった自分がいました。
救急車が来るまで、ただ父の背中をさすってあげることしか
できなかったんです。そのことがショックで、地球よりもお父さんだな、と薬学部に進路を変更しました。そして薬学部の中でも薬用植物園学科という研究室を希望します。
東大には一般の人立ち入り禁止の薬用植物園があり、珍しい薬草たちにお水をやっていました。至福の時間。大学にて基礎研究もしてましたが、お水をやるのがすごく楽しかったのを覚えています。
そのときから漢方に興味があったんですね。
でも残念ながらヘタの横好き。全く授業についていけず
「わたしゃ、向いてないわ」と夢を諦めることになりました。
植物と健康に興味があったけれど研究するのは好きじゃなかったんですね。
大学院には進まないことに。
国家試験も試験当日は1人でリオのカーニバルへ踊りに行ってしまいました。
自宅でさぼると気持ちがしょんぼりしそうだったので、紛れるようにと
出来るだけ遠くへ逃げたんですね。試験のことなんて忘れてしまえるように。
その後は、薬学とは関係のない会社にたくさん願書を出し
受験しましたがたくさん落ち、やっと就職した先は広告会社でした。
そこで文章を習うんですね。コピーライターのお仕事をしました。
そののち会社が向いていないことに気づいて突然、辞めてしまい、現在に至るわけです。偶然のご縁や出会いで脚本を書いたりエッセイを書いたり、
ドラマ、舞台、映画、ラジオパーソナリティーやら、なんでもオファー
がある限りやらせていただきました。
そんな私ですが、42歳にしてひと回りしたのでしょうか。
憧れていた当時の夢のお仕事、
といってもエッセイですが、こうして関わらせていただくことに
なりました。お薬とはこういう関わり方が私には向いていた
ということなのかもしれないですね。

実は、ここ数年、漢方に、というよりツムラにハマっている私がいます。
タイトル通り、“ツムラー”なのです。私が勝手につけたんですが、
“ツムラー”って、、。
きっかけは、友人にツムラを薦められることが度重なったこと。
そのたび、これはもしや、すごくいいのかもしれない 
え?流行ってるの?と思った。
だって、え?こんな人が?という知人が
とある場所で、さっと、“とあるツムラ”を教えてくれたり、
え?こんなときに?という状況で「これ飲んどいて」と、また別の
“とあるツムラ”を教えてくれたりしたのです。
その度、私はそのツムラを、パッケージ書かれた番号と不思議な名前
難しい漢字の名前をじーーっと見つめたのです。
魔法の薬のように。
実際それらは、とても役に立ちました。いろんなシーンで、いろんなツムラといい出会いをした、ということなんですね。

ただ、困ったことに今の私にはその、それぞれのツムラが一体どういうツムラだったのかよくわかっていないのです。
色んな種類のツムラ、余ったのでそれらを箱にボンボンいれていたら、家に玉手箱くらいのツムラボックスができてしまったのです。
風邪の症状で病院でもらったはずのツムラですが、微妙に複数あるんですね。えっとどういう症状のときに何番だったっけ。そもそもこれはなんだったっけ。二日酔いにいいと言われ渡されたものはどれだったかしら。飲み合わせはあるんだっけ?

私はだんだん、もっとツムラが知りたくなったのです。
きちんと知りたくなった。そして自分のからだを常にいい状態にしてあげたいなあと思ったのです。日々を楽しく生きるために効果的にツムラを活用できるようになりたい。ツムラボックスにある訳の分からない番号、名前を1つ1つ紐解きながら、賢いツムラ使いになれたら。
心の幸せとは普通の健康からですから。
私、ツムラーになる!

大宮エリー/おおみやえりー
1975年大阪府出身。東京大学薬学部卒業。作家、演出家、画家など多くの肩書きを持ち、著書には『生きるコント』『思いを伝えるということ』(文春文庫)他多数。2016年、美術館で初の個展『シンシアリー・ユアーズ』(十和田市現代美術館)を開催。現在、週刊誌『サンデー毎日』にて連載を担当している。

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